人生楽しんだもん勝ち

私のどうでもいい話と推しの話とその他。

入院〜退院〜現在

ごきげんよう

*これは書く前から分かっている注意書きですが100長いブログになるので暇で辛い時に読んでください*

 

2021年のまとめして振り返ろうかと思ったが振り返るほどなもの、特にないなと思ったのでいつか書きます。おたくのいつかは一生やらんにニアリーイコールするが。強いて言うならば、推し、祝アイドル(?)卒業ですかね。言うて卒業しても鬼畜スケな匂いしかしない弊推しの事務所、冷静に考えて仕事組んでくれよ

 

さて、タイトルにある通り先日入院、退院、そして今は術後現在を過ごしてまして暇だから(課題あるがな)ブログ書いちゃおっカナ?!な気持ちになって書いてます。前回のブログでも入院匂わせしたな。おれも一端の匂わせ野郎になれ〜〜〜〜〜〜〜〜ない。匂わせは一生すな。ご報告だけのタイトルはやめろせめて良い知らせか悪い知らせかタイトルに書け。メールの題名に要約した用件を書くように習わなかったのか?

 

 

入院まで

まずなんで入院したのか、からなんですが簡潔に書くと持病です。検索に引っかかりたくないから病名は書かないし読めば分かる人には分かる病気なので(というかぼかすの面倒なので普通に病名以外は書くから)……。めちゃくちゃぼかして言うと保険適用の骨切りです。

 

私の病気は診断が降りるか降りないかは規定があり、確か正常より10mm突出している(私は突出してたので突出パターンしか知らん)と保険適用で病名診断されます。

 

検査ちゃんとしないと診断ギリギリ降ろして上げれる!になる人の方が世の中多いんですが私は小学生の頃から100%この病気って断定されてたので疑ってなかったんですが初診から保険適用されました。この検査して保険適用内だよ!ってなった人は後から保険適用外分の無駄に(保険適用されないと医療費バカ高いですよね)払っていたお金が戻るらしいです。私は無縁な話でした。ウケる。(ウケない)

 

 

なので歯列矯正も保険適用でやってるのでまじ安いです。びっくりぽん。但し保険適用の場合、裏側矯正、マウスピースなど見えないように〜とかそういう気遣いはされません。したら保険適用されなくなっちゃうのでずっと表にブラケットとワイヤーあります。ただ、タイミングがいいことに(悪いことに?)私が矯正やり始めたのが2020年1月とかそれくらいなのでまさかのコロナ㌠にもろ被ってマスク生活のおかげで隠せました。滑舌は矯正のおかげで死んでたのでアルバイトの際ちょっと大変でしたが………

 

で、歯列矯正も整ってきたからオペ〜ってなったんですけど病院と日程が合わず夏頃オペ予定がズレて年末にオペになりました。実はな話、オペやる報告を大学にしてたのに(実習期間にオペだから、というかオペやるよって初めから報告してたからオペやる日程くらいは報告しないとな……となり)報告していた担任(弊大学の弊学科は担任制度です)が上に報告してくれてなかったせいで問題が起きて単位くれないって科目責任者じゃない担任から言われお前科目責任者じゃないのに単位上げないって言ったな?学校の総意か?って聞いたら総意だって言ってきたのでは?????となり大学と揉めました。勝ちました。これ書くと長いのでまたいつか書きます(ニアリーイコールの世界)。

 

まあ勝ったので単位も普通に皆と同じ状態でスタートして貰えるか判断してくれるようにしました。よく医療系の世界で言われる教員やってる人は現場で仕事が出来ない人が行く場所、と言われていたが今は大学院に通いながら研究してる人の方が割合として出てきた。と言われてますがコヤツァ違うな………な気持ちにさせられました。はい。

 

 

 

入院

さて、来たる入院。人生初(?)(一応睡眠時の呼吸状態見るために検査入院はしたことがあるが19時入院6時退院という入院?な入院しかしたことがない)でした。オペ前日入院はだろうなと思っていたんですがまさかの朝入院で午後からだと思っていたのでええ…………になりました。移動手段は平日だったのでスーツケースを満員電車の中に押し込みました。すまん。別に旅行じゃないんだから許してくれスメンス……。(入院が月曜からだったのでまじ申し訳なかった)

 

病院着いて入院手続きして病棟上がって受付して入院に辺り看護師さんに病棟でのあれこれを説明してもらった後何も考えずにベッド周りの生活環境整えてたら入院初めてなのに手際良すぎて医療系の学生って1発でバレたの、なに?????おれが悪いのか?

 

気が使えない矯正担当医はお昼ご飯の時間に診察入れてきたので怒った。術前で診たいのは分かるし外来午後からあるのは知ってたがおれのお昼ご飯の時間に被せるな。てか夕方にも会いに来て調整したのでお昼行った意味……(まあ意味はありましたが)となった。余談ですが、担当医は心配性なちょっと抜けてる人なので口腔内に上顎を広げる装置を術前は付けていたのですが、私がどんなに取ってって言っても○○ちゃん動くの早いから一日でどれだけ戻っちゃうか不安なんだよ……と言い続けていましたが上の人から取っていいよって言われてようやくしぶしぶ取ってくれました。まじあの装置、葉物が絡まりまくって歯磨き辛かった。この装置付けるために無理やり付けてたので装置とったら術当日でも出血してました。あの痛み、いつ無くなったのか今はもう思い出せませんが付けてた後は跡形もない(だろう)。口腔内の回復速度、早ない?

 

術前前日、初めての入院、オペなのに普通というか楽しそうすぎて色んな先生たちに「緊張しないの?」と聞かれたのは、おれがおかしいのか………。普通に楽しんでいた。

 

術当日

これ普通に術前、術当日、術後とか書いているが普通こういう書き方しないなと気づいた。

まあ術当日。寝れましたか?に対してあんまり寝れなかったけど麻酔で寝るしいっか〜って思います(予定手術時間、6.5h)なんて答える患者、嫌すぎるな。普通にこの時期あんまり寝れなかっただけです。日によって眠れる日、眠れない日の波が凄い。疲れたら寝れます。短時間だけでも良質な睡眠パターンです。4時間寝れば動ける人間なんで………。

 

カオスなので手術室入ってもオペ看さんと喋ってました。こんな喋る患者います?って聞いたらまあいないよー!って答えられたの、死ぬ。全麻かけられてる時も普通に話してたし笑ってたの、今思い返せばやばい患者すぎる。

 

手術時間が長いため入室時間も早く、6.5hでちょっと延びるにしても18時くらいには目覚めるかな〜、通常というか習った内容、見たDVDでは全麻を行うとオペ終了後は手術室で意識確認があるのでそれを楽しみにしていたのに目が覚めたら病室だったし21時直前だった。オペ中ちょっと問題が起きて手術時間は10時間くらいだったそうです。思ったより部屋が暗いのは冬だからだけじゃないんか……になった。執刀医が(矯正担当医とは違う先生が執刀医なので分かりやすく担当医、執刀医と呼び分けます)ご両親に連絡したいでしょ?はいスマホって部屋移動時に移動して欲しい荷物入れてたカバンからスマホ出して渡してくれたのですが主スマホじゃなかったのでそれじゃないって言ったらえ、2台持ちなの?贅沢と言われてまずオペから目が覚めて初めの会話がこれ?????になったおれは悪くない。単純に主スマホに乗り換える時、元主スマホが割れてて返しても全然金にならないので返さなかっただけです………。

 

そしてここからが地獄の始まりだった。

 

術後

ここからは太文字で術後何日とかやっていきます、後一部あれな話があるので読みづらくします。(予告)

 

術後当日〜術後1日目、部屋移動まで

まあ麻酔から目が覚めたのが21時くらいだったので夜は眠れなかったのですが、それが本当に地獄だった。術式が変更されたため上下の歯をワイヤー固定せずゴム固定の予定がワイヤー固定されてしまい、唇はオペ中広げられていたため腫れて口が閉じれなかった(問題点1)。口が手術部位だった故鼻から挿管していたためワイヤー固定もあり鼻から口腔内に生まれる痰を吸引するしかなかった(問題点2)。挿管時間が長すぎて声帯が傷つけられ、また乾燥が激しかった(問題点3)。全麻後だったため酸素マスクが付けられていた(問題点4)。CTを撮って知っていたが、鼻の気道が曲がっているため吸引チューブが挿管補助の管が入っていない方は入りづらく、またそちらの方が狭かった(問題点5)。術式変更をした為、ワイヤー固定はされているが右側に少しだけ歯と歯の間に少しだけ隙間があった(問題点6)。

 

めちゃくちゃ問題点上がったしきっと考えればまだ上がるかもしれないんですが、この問題点たちのせいで自力の息で喉が乾燥して痛くなり痰が出てくるが吸引が難しく、また吸引の風で乾燥した喉が痛くなりまた痰が出てくるわ唾液が微妙に空いている隙間から溢れ口腔内に隙間が無くなり息がしづらくなり……をエンドレスしてました。あの夜中で私は自己吸引(鼻から)の技を会得しました。医療系だから知識あるよね?自分でやっていいよと緩い執刀医。15cmですよね?と確認するおれ。頑張ったな………。口からは普通に唾液取るくらいしかしてなかったので簡単でしたが鼻はキツかった。そして鼻が詰まる詰まる。いっそ鼻詰まらせた方が息がしやすいのでは……?という気持ちにさせられたのですが噎せた瞬間死ぬ、と思い鼻の気道確保に勤しんだあの時間。

そして酸素マスクからの風が乾燥した喉に刺さる。無断で外した。(まあSpO2高いからしなくてもいいよと許可は取っていた)

そしてそして尿道カテーテルがめちゃくちゃ痛かった。これにも悩まされた。今もなんですが、フラットに寝ると呼吸が出来なくなる故にギャッジアップを行っているため、体分圧がしづらく腰部〜臀部への圧が凄いため体位変換をしたいのに尿道カテーテルが痛くて動けず、自由な右手を腰に差し込んでは痺れたらor息がしづらくなったら吸引のために抜いて、また手を差し込んで……と右手が忙しかった。夜勤の看護師さんに抜きたいと暴れた(暴れてない)が人数少ないから日勤の時間帯まで堪えてね…と言われた時はまじ泣きそうになった。一生入れたくない医療器具今のところダントツ1位です。

後何故か凄い点滴部が逆血してそれでNsコール鳴らしたのは冷静に考えて意味わからんかった。何故?????ルート普通にしてたのに逆血して意味わからんかった本当に。

そんなこんなで堪えた夜中、スマホ開く度に(部屋に時計はない)時間が過ぎていないことに涙したあの夜。あの日ほど時間が過ぎるのが遅いと感じた日はないと思う。

 

迎えた朝、日勤の看護師さんに切り替わったのに中々抜いて貰えずまじで辛かったナ………9時過ぎくらい、診察に呼ばれてその時ようやく点滴以外自由の身になりました。唾液はタラタラだった。移動時ティッシュが手放せない入院生活のスタートです。おバカなので短距離ならいけるっしょと思いよく口周り汚してました。おバカさんです。

診察室行くのにも普通に歩いていたつもりなのに元気だね……?と言われ、自室へ部屋移動(ここで説明する?だが術後は容態が急変しやすい、また何か問題が起きた時に対応しやすいようNsステーション目の前の個室に入れられてました、これは病院によって違うので参考にならないかもしれませんがよくある事です)する時も歩くスピードが普通すぎて元気ね………、と看護師さんに言われる。10時間麻酔して手術していた人には見えないくらい元気だったらしい。なんで?

 

術後1日目(部屋に戻って)

部屋に戻っても別にやることないので普通に寝てた。先程の診察の時に鼻の挿管補助みたいなの抜かれたのでそれがない分鼻からの吸引が苦しくなったくらいかな?この時はまだ口腔ドレーンが入っていたためドレーン首から掛けながら左腕点滴していました。ドレーンの陰圧ちゃんと入ってるの見て感動してました(学校のドレーンバックは壊れているため………)。後鼻血が凄かった。何もしてないのにダラダラ垂れて色々汚さないために鼻にティッシュ詰めたまま寝たりしてました。憐れに思われたのか綿球を日勤看護師さんから頂いた。あれ、めちゃくちゃ良い。

 

術後2日目

口腔内ドレーン抜去されてました(写真を見返す)。誰かのブログでドレーン抜去が痛いって書いてあったから身構えたのにまっっっっっっっっっっったく痛くなかった。あのおれの緊張感は何処へ?まあこれはここ最近上顎の抜糸をして気づいたが入院中に行った下顎の抜糸も何も感じなかったため、あの時のおれの口腔内はバグっていた。痛みに強いとよく言われるのですが最早それじゃない。

そしてこの日のお昼からご飯が再開されました。ご飯って言ってもドリンク食です。あまりにも食べれなすぎて泣いた。吸う力も落ちていたためベッドも汚すしパジャマも汚すしで食べるのすらままならず、ドリンク食なのに食べるのに1.5hとかかかっていた。食べきれてません。ドリンク食と言ってもカロリーのためにアミノ酸ゼリーなども出されていたのですが、ワイヤー固定の範囲が広すぎて口の前の方からはゼリーが入る隙間が無く、ワイヤー固定されてない後ろの方は頬が腫れすぎてゼリーが入る隙間が無く、結論としてはゼリーは食べれなかった。何故か食べれると思い込んでいた執刀医にゼリーとかなら食べれたでしょ?と後ほど言われ、は?と返しそうになった。執刀医には猫を被っているため無言だった。

 

術後3日目

寝て起きたら首にリング状の浮腫が出来た。これも後ほど苦しめられる。寝て起きたらと言っても全然寝れてない。普通に寝れなかった。

 

この日は遂にワイヤー固定が解除、解放!ゴム固定に切り替わった歓喜。ここまでちゃんと書いてませんが上記したように挿管で声帯が傷つけられ、乾燥で喉を痛めていたため嗄声レベルまで復活したのも後日。この頃はまじで喋れずスマホのメモ機能や右にスワイプしたら出てくる検索のあの小さい欄に文字打って読んでもらって会話していた。難儀。メモに痛み止め欲しいです、って書かれたのが残っていてなきました。

そして術前日(入院日)ぶりに担当医と会いました。ゴム固定するためにですが。彼も彼でダウンしていたので(病気じゃない)お互い死んでいた。

朝ごはん時、半分食べないと点滴抜かないよと脅されシャワーを浴びたいがために頑張ったおれ、無事抜去。ただしシャワーは後述するが保留された。努力の意味……?な気持ちにされた。

 

さて、前述した首に出来たリング状の浮腫。今は浮腫と分かっているがあの時はえ、もしかして血腫?!となり大変だった。本当に。後でCT撮るって言ってるのに(CT見れば分かる)何故か鼻からカメラ入れられて見られるおれ。しかも挿管してない方の鼻から入れられたため(前述した気がするが挿管してなかった鼻は挿管してた鼻よりも屈折が激しく入りづらい)涙は止まらんし途中ずっと噎せていた。研修医の先生が慰めてくれていたがカメラ入れてきた執刀医より上の先生は容赦はないしニコニコしてた。まじあの方サイコやろ…………。まあ浮腫と分かったため良かったのですが、このリングが中々分厚く息苦しさを感じ、まさかのずっとサチュレーション測っているための装置を付けられました。おれの左手人差し指、術後1日目部屋移動時に解放されてから1.5日しか解放されずに囚われていました。まじこれ暫く(土日挟んだため)外して貰えなかった。そしてシャワーも許可が最終的には降りたがCT見るまでOK貰えなかったため朝のおれの努力……と落胆させられた。悲しかった。許可出たが。

 

そしてご飯がドリンク食からペースト食に食上げされました。やったね!この日は久々の固形、冷奴があったのですが豆腐すら上手く食べられず、SHOCKSHOCKSHOCKでした。

 

術後4.5日目

術後4.5日目は土日だったので特筆すべきことはないですね…………。強いて言うならばここら辺でようやくSNSに触る心の余裕が出来たのでネットサーフィンしてました。暇だったので。

後はペースト食の中のお粥ゼリーが食べれず問題になりました………。単純にお粥が苦手で味付けないとお粥が食べれないのですが(卵がゆなどならぎりぎり食べれたりするが味付けによる)(お粥は糊だと思ってる人間のため)(さいあく)これは後々先生と話し合って普通のお米にランクアップして貰いました。また後述される話。

そういえばゼンカイジャー見ましたね、唯一テレビを使った。面倒くさがってイヤホン買わなかったので字幕で見ればいいやと思ったら何故か字幕のボタンが反応せず(仕様なのか?)無音、無字でまさかの予想をしながら見ることに。Twitterで検索して内容を把握するという事態になった。まあ何も無くても面白いのがゼンカイジャー。楽しかったです。

 

術後6日目

診察の時に吸えてるから(SpO2の話)サチュレーション測るの、取っていいよ〜と言われようやく解放。お疲れ様、おれの左手人差し指。ご飯の時とシャワーの時以外外すことは許されませんでした。因みにこれが単なる浮腫じゃなかったら退院が延びていた。命拾いとはまさにこの事。

そして術後6日目のお昼、ついに食上がりしてペースト食から刻み食へ!このタイミングでお粥は無理なことを意思疎通して常食時のお米、まあ普通のお米に替えて貰いました。汁物に浸したら柔らかくなって食べれるでしょ?とのこと。これは替えたんだから食べろよの圧に感じた。まあそれはそう………。

またここで久々に(土日は休みだからしゃーない)担当医と会う。ゴム固定の位置をずらしたいと言うからOK出したら酷い目にあった。なんかさっきから書いてて思うが毎日問題起きすぎじゃない?そろそろ起こらなくなります。因みにゴム固定ですが、これ矯正したことある人なら分かると思いますが自分でもゴムをかける練習をしなければならない中、この担当医、理想の場所にゴムを設定した代わりに当時めちゃくちゃ頬が腫れている私1人ではかけ外し、かけ直しが出来ない場所に設定しやがった。このゴム固定はお昼後に行われたため1人で出来ないと気づいたのは夜ご飯の時……。まさかのゴムが外せないとNsコール鳴らすとは思わなかった。そして執刀医のグループに所属する研修医の方が来てくださったが後ろすぎてこれはむりだね……となった。大変だった。

 

術後7日目

下顎の抜糸日。ちょっと痛いよと言われたがまっっっっっっっっっっったく痛くなかった。尚この時私は診察台で全然倒れられなかった(今もフラットには倒れられない)ため凄い角度(25度位しか倒せてなかった)で抜糸して貰った。

研修医「先生この角度でいけますか?」

執刀医「大丈夫、俺このためにジム通ってるから」

おれ(痛くないな)

抜糸後のゴムかけのタイミングで執刀医のグループの先生全員にこれは患者さんが1人でかけるには無理だろ……と言わせる担当医、各方面に怒られてしまえと本人に言った私は悪くない(さいあく)(担当医の扱いが粗雑なんよ)(仲良しです)

 

もうここら辺から消化試合、入院10日目に退院が決まります。術後6日目の調子が悪かったら延びていたためセーーーーーーフ。

 

術後8日目

特筆することがない。明日退院だ〜ってウキウキしていた。同日入院の小学生が先に退院しててショックだった。自分より後に入院した同じ病気であろう軽症な同室の子(個人情報保護の観点で病名は知らないので予想です、別の病気かもしれないため当方の予想で記載しています)は昨日(術後7日目)に退院しててないた。(私は手術部位が上顎、下顎であったが片方だけだと退院日も早いため)

 

術後9日目

退院日。退室後の環境整備が楽なように気を使った。午前中に退院なので10日ぶりの下界(外)にウキウキし、朝の風を感じ、親の車待つ間にスタバに入ったらキャリーケース持っていたせいか帰省かと思われ「お帰りですか?」と言われ「はい……」(退院で自宅に帰るだけだが……)となったのは悲しい思い出…………。お家に帰ってからは久々の猫を堪能しながら眠りについた。

 

退院してから現在まで

退院してからはまあ普通にほぼ寝て過ごしていますね………体力が戻らんので近所の神社まで初詣行っただけで体力しにました。生きていけるんか?ここからはピックアップした日をお届けします。普通に通院した日ですね。

 

術後14日目

まさかのブラケットのワイヤーが外れ頬に刺さる。なんでそこ?となりながら当日予約して行きました。この時なんと退院後外出2回目。帰りは死んでた。退院したのが年末で支払いが出来ていなかったため入院費をお支払い。10万と端数。この日の再診代は230円だったので桁の違いに笑いました。保険適用バンザーイでした(適用されなかったら150万)。(手術費で90万強、麻酔費で15万強だったので手術するだけで100万超えててバカ笑いました)(これにより保険適用されない手術費用の高さを感じる)

 

術後17日目

執刀医の外来。上顎の抜糸しました。痛みを感じたため逆に戸惑い。抜糸、痛かったんだな……となった。

ここでCTをまた撮ったため術前と術後を比較。めちゃくちゃ削ったんだよー!と言われてそうですね…としか返さなかったら不満げだった。せやなとしか思えんやろ………。

因みにまだフラットには倒れられないため50度くらいの角度で抜糸してもらいました。今回は外来で補助してくれる研修医が病棟にいたため執刀医1人で実施。ちょっと腰痛そうでした。申し訳ない………。上顎の抜糸が終わってゴムかけ1人で出来る?って言われてやろうとしたが血と唾液で滑って出来なかったためかけてくれた。優し〜になったが若手にいつもやらせるから久々にゴムかけたよ!の一言で全てが台無しになる。

次から口を開ける練習だよと言われ死にそうなおれ。次は術後30日目…………。おれは生きて帰ることが出来るのか?デュエルスタンバイ!次回、城之内死す。お楽しみに!な気持ちです。

 

さて、今現在を少しだけ記載するとまだ術部位の腫れは引いてないのと術式変更により右側が2箇所骨折しているため左側と比べて少し歪です。腫れは術後2~4週間で落ち着くと聞いてるが本当に落ち着くんか?と思うくらい停滞期に入ってしまっています。劇的に落ち着いてきた!と感じたのは術後12日目前後でしたかね、フェイスラインが出てきたので嬉しかったです。因みにお酒を飲むとすぐ浮腫むのであんまり飲まないようにしました。後普通に調子が悪い。

 

まだまだ治療は続くし今回の手術で付けたプレートの除去のためにまた入院することは確定してるのですが、心はいつでも頑張れ負けるな必ず勝ての前向きで生きてる人間なので何とかなるしさせます。歯が動いて今日も痛い。

 

またブログは続くかもしれないし続かないかもしれないし何ヶ月後かも分からないけどまた書きたくなったら書きます。

 

最後までお読み下さりありがとうございました!

 

おーわり!